ごきげんよう、水色えぬつーです。
とはいえ実はあまり今ご機嫌よろしくないです。
何故かってタイトル通り先週放送されたプリチャン 120話 「大ショック!ラビリィの本当のご主人様ラビ!?」を見たからです。
余りにも不愉快でモヤモヤするのでブログにアウトプットして発散しようと思った次第です。
今日のプリチャンまぁ普通に不愉快になって飛ばしちゃったわね
— 水色えぬつー (@enutun_WUG) 2020年10月4日
遅起きした日曜朝、ルーチンで最新話を配信サイトで見ましたが開始数分で不快度が爆発。数秒見ては30秒飛ばすのを繰り返し一瞬でラビリィのライブのシーンとなりものの5分程度で見終わってしまいました。
ちなみに僕は寝起きの機嫌はよくない方です。南無三。
わざわざ感想を検索するようなことはしていませんが流れてくるモノを見る限り、複雑に思う人は多かったんだと思います。
どうしてここまでこの回に心を乱されるのか、自分なりに内省してみて分析してみようと思います。
ポジティブにしろネガティブにしろ、ここまで強い感情が発生するのにはきっと理由があるはずなので。
ちなみにこれを書くために頭を掻き毟りながらちゃんと120話を見ました。2回も。
茶釜松らいあというキャラクター
まずは最初の論点は間違いなくここでしょう。
今回のゲストキャラクター「茶釜松らいあ」についてです。
(日曜見た時はイライラしすぎて音が”だいあ”に似てることにまでヒリついてしまった)
容姿については意味は無いでしょうし論点逸れそうなので突っ込むのは止めます。
プリ☆チャンは地に足ついた物語なのでタヌキ顔にタヌキっぽいアイテムを揃えたケモノ顔の友達がいる女の子が出てきても不思議はないでしょう。
この子が諸悪の根源なわけですが、まず自分が気に食わない(あくまで個人の感想として、です)のはらいあが何ら伏線を介さないぽっと出のキャラクターでありながら主要メンバーの関係性を乱す存在だったからです。
プリチャンは基本的に一話完結なのでぽっと出のゲストキャラは無数にいます。
そしてその殆どは作話における起承転結の”起”を担うために何らかのイベントやトラブルを発生させます。
らいあもこの類型ですが、明確に違うのは彼女が利己的な理由で主要キャラクター、今回はリングマリィの関係性を裂こうとしたことです。
要するに「誰だよテメーは」ということ。
これは理屈ではなくただの感情論だと前置きしますが、いきなり出てきた威厳も何もないモブの放言に主人公たちが右往左往する様を見せられるのは正直言って愉快ではありません。
せめて展開が「まりあ・すず・ラビリィの3人だけの時に押し切って、キラッツ・メルティックの面々は後から話を聞いて疑う」というような感じだったら不快度はかなりマシだったと思います。
8人+マスコッツがいる状況に突っ込んでくるらいあの厚顔無恥さがひたすらにしんどい。
これも個人的な話ですが、僕はアニメでも強く共感性羞恥を感じるタイプなのでもうこの時点で無理でした。
最初はえも、あんな、さらも疑ってる割に呑気だなと思ってしまいましたがらいあの登場が唐突で虚を突かれたのと、緊急ではないから一旦様子見をしたという感じで割と自然な行動でした。
「外的な理由で関係が引き離されそうになるが、状況が解決して結果的に関係性を見つめ直したり仲がより深まる」というのは作劇としては定番中の定番です。
他ならぬリングマリィでやっています。(2期68話「さよなら、すず まりあ笑顔のお別れ!だもん!)
ただこのパターンは引き離される状況に対して当人達や周囲のキャラクター、そして視聴者が納得できるだけの合理的かつ必然的な理由がなければ成立しません。
「理屈で考えれば離れるべきだが、それでも一緒に居たい!」という感情を生むことがキモだからです。
それに対して今回の話のしょーもなさと来たら。
らいあというキャラクターの話から完全に脱線してしまいました。
感情に任せて文章を打ってるので少し話を大きくし過ぎました。
嘘を利己的に使うキャラクター
らいあは「言えない」だの「長くなる」だのとデタラメで説明を逃れ、まりあ・すずを想うラビリィの優しさにつけ込みます。
これまでのプリチャンで悪意を持って人を騙すキャラクターって出てきましたっけ?
いたら自分が忘れてるだけなんですが、ここがどうしても引っかかってます。
基本的にプリチャンって悪人はいなくて善意の塊みたいな世界観だと思っているので、らいあが「利己的に人を騙す」キャラであることにショックを受けています。
いたっけ?と思ったけどおしゃまトリックスの2人がいましたね。忘れてた
忘れてるだけでもっといたかもしれない。
らいあの事を悪人というのは大げさで可哀想とは思いますが、何にせよ「他人の善意につけ込み騙して利益を得ようとする」キャラが前述の通り主人公たちの和を乱してきたのがたまらなく不愉快だと感じました。
キラッと☆プリチャンの哲学
劇中最後、ラビリィはらいあと仲直り?して幕が閉じます。
すずはそこで「またウソをつかなければいいけど」と呟きますが、きっと茶釜松らいあという子はこの先も直ぐに見破られるようなウソをつき続けるでしょう。
プリチャンの一貫した哲学として「個性の尊重」というのがあると僕は考えています。インディビジュアル・ジュエルは最高
問題・・・というわけではないですが、今回のエピソードの終わり方もその哲学が現れていると思います。
つまりプリチャンの世界観においては茶釜松らいあの”ホラ吹き”も一つの個性として認められているわけです。
子供向けの勧善懲悪的な話であれば「ホラ吹きで何か大きな失敗をしてしまい、ウソで逃げたり虚栄を張ったりせず正直に生きましょう」と教訓めいた締めとなりそうなものですが、プリチャンではらいあのような幼少期によくある虚言癖も否定しません。
現実ではちょっと周囲から煙たがられたり嘘吐き呼ばわりされて親御さんは心配するかもしれませんが、プリチャンは「そういう子もいるんだよ」と許容します。
個性の尊重、というと聞こえは良いですが、らいあが罰を受けるわけでも反省をするわけでもないため何とも言えない視聴後感が漂っている気配をTLから感じました。
プリチャン深ぇ・・・
おわり
まだRun Girls, Run!のオンラインライブ初回やTIFの感想も書き切ってないのにこんな雑記を書いてしまった・・・
しかし、これだけの文章量を瞬間的に発するくらい今回の120話に心動かされたのも事実なのがやや複雑ですね。
というか最近ブログに書きたいネタを思いついてはメモしてるんだけど全然手をつけれていない。
以前は電車の中など移動中に書くことが多かったがここ半年は在宅ワークでそういう週間が消滅してしまった・・・
今週末10/11(日曜)はオンラインライブ第2回、それまでには完成させなきゃ(使命感